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三志郎と重馬の戦いを遠くから見守る赤銅の鬼仮面。普段は仮面に隠れる顔の一部がちらりと見える。それは、彼の本音がちらりと漏れる心情を暗に描いたものなのか。彼もまた割り切れない心を持つ者の一人……。
トーノZERO, THE BELKANアニメ感想家(笑)のアニメ感想を参ります。
今日の妖逆門の感想。
サブタイトル §
第25話 『焔龍・煌!』
あらすじ §
ミツキは、自分が持つ上位召還の玉を三志郎に託し、谷に落下します。三志郎は、あやかしを召還してミツキを助けに行かせます。
ついに、重馬と三志郎の戦いが始まります。
仲間とのコンビネーションで良い戦いをする三志郎。
しかし、圧倒的な数の撃符を持つ重馬にねじ伏せられます。
頼みの綱の焔斬もやられ続けますが、不屈の闘志で立ち続けます。
あくまで勝たねばならないと諦めない三志郎と焔斬の心に反応するかのように、三志郎が持つ自分とミツキの2つの上位召還の玉が光り、1つになって上位召還の撃符になります。
焔斬は、上位召還により焔龍となり、圧倒的な強さを見せます。
重馬は、最後の切り札の撃符のあやかしと一体になります。
感想 §
重馬の本質は、要するに怯えた子供です。
他人が怖く、対等の他人と付き合うことができません。
撃符(あやかし)は全て「支配」することができる対象であり、「支配」の道具です。自分が全てを支配する王国の王となり、けして逆らわない従順な者達が周囲に並ぶことを重馬は望みます。
その事実を、ミツキは全く気付いていません。あくまで、重馬を立派な人間として扱おうとします。
しかしそういうミツキは、重馬にとっては彼の完璧なる王国を汚す存在であり、到底容認できるものではなかったわけです。だから、重馬はミツキを攻撃します。
更に感想 §
それでも、ミツキは兄を嫌いにはなれません。
ミツキは、兄を止めるために、三志郎に上位召還の玉を託します。
このミツキの肉親を思う愛情は、まさに真の愛情です。
ここで、重馬とミツキの立場は、既に逆転していると言えます。それまで、重馬が未熟なミツキを引っ張っていく立場であったものが、この時点でミツキは救助を三志郎に託す立場であり、重馬は救助されるべき立場になっているのです。
強い力を持ってはいるが、他人に怯え、他人の言葉を聞かず、自分が頂点でなければ気が済まない……。そういう重馬が抱えるものは心の病理そのものです。それは、心が現実に負けた状態と言っても良いでしょう。思い通りにならない現実を受け入れ、自分が最強でもなければ賢くもないというプライドの崩壊を受け入れることが、大人になるということです。それは誰でも体験することに過ぎません。しかし、重馬はそれに耐えられずに逃げてしまったわけです。
これは、いわゆる社会的ひきこもりという現象を連想させますね。重馬は、圧倒的に強力な撃符の数々を持ち、意のままに従う手下も持っているがゆえに自分の家に閉じこもる必要はありません。しかし、紛れもなく重馬の心はひきこもっています。
つまりですね。
この作品が本質的に描いているのは、そういう心の問題だと言えるわけです。
ゲームバトルは、心を描く手段として使われているだけで、それは主テーマではないわけです。
こういう部分に、とても好感を感じてしまうわけです。
今回の一言 §
ED『踊る ばけぎゃもん ~ぷれい屋音頭』に再び傘少女(きみどり)がさりげなく登場。
これで2回目という計算で良いのでしょうか?
いったい、どういう時に彼女は出てくるのでしょう?
雨が降った日?